猛暑日

重なり合う二匹の虫の音が。私はそれがスズムシなのかマツムシなのかまるで分からないけど、眠れない夜はお世話になってます。虫は何のために鳴いているのかもよく分からないけど、私はそれが立派な音楽だと思っている。道端の雑草の中から虫の音が聞こえる時には、どの草むらから聞こえているのか、耳をすまして当てようとする。近づけば大きく、離れれば小さくなる鳴き声。

生活は少し追い詰められている方が生きている感じがしていい、なんて言っている私は多分一生せわしなくはたらくのだろう。じりじり直射日光の下で、イヤホンをしてもまだ聞こえてくる蝉の声を聞いて、生き急いでいる仲間のように感じていたら、道端に蝉がひっくり返っているのを見て惨めな気持ちになった。

夏は暴力。

ひらりと翻る綺麗なスカートを履いてみても、裸足でサンダルを引っ掛けてみても、電車、ショッピングモール、冷房の風に当たればお腹が痛くて惨めな気持ち。綺麗な布を纏ったからって、生臭い匂いが消えて、美しいだけの人形になれると思いましたか。

記憶の中の夏は、都合の良い編集が施されて、この体を焼くような暑さはカットされている。私は七月には、夏が本当は死の季節であることを忘れて、毎年きっと入道雲の向こうに蜃気楼を見る。

私は人間です。体温と同じくらいの暑さには対応できていません。このままどんどん夏が暑くなれば、いつか熱で壊れて動かない日が来るかもしれない。人の体は私が思っているよりずっと弱くて、脆くて、惨めで、生き物。 

ソーダの飲めない私はカラカラの喉を潤そうとして真水を飲んでいっそう渇く。砂漠で飲む水はきっと思ったより美味しくない。本当に暑い時、多分真水は物足りない。

 

私の生きているあかしも、虫の音のように誰かにとって音楽のように聞こえるのだろうか。私の呼吸と言葉が。「あなたの名前もわからないし、なんのために生きているのかも知らないけれど、あなたの呼吸にお世話になっております。」