移動

平日の昼間の山手線に乗ると、窓の外を流れていく東京の景色たち。差し込んだ西日が窓枠の形に切り取られて床の上に日なたを作るのを見ている。世の中というものはあまりにも複雑で、乗り換えの駅ではいつも目眩がしそうになる。けれど、電車の中から見る世界は、いつも遠くて、私はその遠さに安堵しているのだと思う。それは次々流れ去っていくし、私は複雑な世界にいちいち留まる必要がない。電車から見える東京は、物としての街であり、地形としての街だ。無数の窓ガラスは等しく黄金色の西日を反射している。坂があり、谷があり、背の低い街があり、背の高い街がある。流れ去っていく街の特色は街ごとに様々だが、電車の中から、一定の距離から傍観する街はその複雑な文化や個性を奪われ、物質としての街に近づいていく。この都市のあまりの複雑さに、その混然とした有り様に目眩がしそうになったら、私は地下鉄には乗らずに、車窓を眺めることにしている。