京都旅行記

およそ1週間前の8月7日、私は単身京都へ発った。兵庫への帰省に伴い、家族より一足先に関西へ向かい、滋賀の親戚の家を拠点に京都観光をしようというわけだった。 

私は今までに、中高の修学旅行で二回京都に行ったことがある。もう一度京都を選んだのは、この一年で「どんな街でも街歩きは楽しい」ということを知ったからだ。京都や金沢みたいに観光地化されていない過疎地域であっても、その街の歴史が、暮らしの堆積が、信仰の片鱗が、不意に覗く瞬間は訪れる。

"ここには既にとてつもない時間が流れてきて、膨大な数の人間がこの土地に暮らしてきたのだ。" 

当たり前のそんなことを、寺社仏閣巡りや街歩きをしている中で肌感覚として感じることがある。その感覚は私を、静かに力強く魅了するのだ。

 

話が逸れてしまった。

今回は私が京都街歩きで訪れた寺、智積院で見た事や感じたことを綴りたいと思う。

智積院は、東山七条にある真言宗智山派の総本山だ。寺の詳しい沿革などはここでは省略する。

今回私がこの観光スポットとしてはそこまでメジャーではない智積院を目的地に選んだ理由、それは長谷川等伯の障壁画だった。

等伯桃山時代に活躍した絵師で、豊臣秀吉千利休に重用されたという。日本史で勉強したみたいで、聞き覚えがあったことと、ガイドブックに載っていた等伯の襖絵の美しさに目を奪われてしまったことからここを訪れることにした。

 

その日京都の気温は39度。猛暑だった。京都市内には人が少ない。キャリーケースをひきながら汗だくで歩いている観光客など私ひとりだ。きっと京都市民は、私を愚かな観光客だと思っただろう。

京都駅から智積院へゆく途中、右手に蓮華王院 三十三間堂が見えた。千体の観音像が並ぶことで有名な彼処である。高校の時に観光バスで来たっけ。こんな所にあったのかと思いながら通り過ぎる。

智積院の敷地は、想像以上に広かった。

拝観受付で白髪の上品なおばあさんに案内され、まずはお目当ての障壁画を見た。

展示場の中には予想よりも多くの襖絵があった。冷房のきいた部屋の中に、煌びやかな襖絵が息をひそめている。足を踏み入れた瞬間に、その幸福な空間に思わず溜息が漏れる。

等伯の代表作『楓図』は他の作品に比べて、飛び抜けて美しかった。近付いて見ると、一枚一枚のもみじの葉が丁寧に縁取られ、緑や橙、黄色や赤などの一枚一枚の葉の色が、驚く程に繊細なグラデーションを作っているのがわかった。一方で木の幹や枝は力強く描かれていて、繊細さと大胆さの共存する様が何とも言えず美しい。少し引いて全体を見渡すと、全てが調和して美しい。この作品が評価されてきた理由がわかる。

ふと目を右にやると、思いがけない所に素晴らしい作品があった。等伯の息子である長谷川久蔵の描いた『桜図』だ。満開の山桜を描いた襖絵である。遠くからちらっと視線を移した瞬間、繊細な白い花びら達が、周りの風景からすっと浮き出て見えた。その襖絵の部分だけ、可憐な美しさに支配されていた。そう感じた。まるで、目の前に満開の桜を見つめているような、とてもリアルな情景だった。平面の上にそんな空間を創り出せるなんて、なんて凄いんだろう。

 

大満足で表に出た。次に、千利休が絶賛したという名勝庭園に向かう。正直、私はもう襖絵でお腹いっぱいだった。おまけ程度の気持ちで講堂に上がる。

靴を脱いで振り返ると、畳敷きの大書院の奥に、緑でいっぱいの庭園が見えた。吸い寄せられるようにして縁側まで歩く。縁の下まで池が入り込んでいる。右手には美しく刈り込まれた草木が並び、正面には小高い山が、そして左手には小さな滝が流れていた。

縁側にぺたんと座り込み、私は言葉を失った。ミンミンゼミの声と、滝から聞こえる水音。そのふたつが時間と空間を静かに満たしている。池の水は優しい緑色で、生ぬるい夏の昼下がりの風が通る度、空を映した水面がゆらゆらと模様を変えてゆく。

胸の中に、何か密度の大きな塊がぎゅうっと込み上げていっぱいになった。

気づくと涙が零れていた。

日本庭園を見て泣いたことは、生まれてこの方なかった。

私は多幸感に包まれていた。自然の美しさに、静寂に、夏の日陰の涼しさに、優しく包まれていた。

暫く座り込んだまま、私はその時を堪能した。

去り難かった。 とっても。

けれど、昼過ぎから合流予定だった親戚から電話がかかってきてしまって、私は夢うつつのままに庭園をあとにした。

千利休がこの庭園を好んだという。その理由がわかった気がした。別に千利休に限ったことではない。きっとこの智積院をかつて訪れた人々は皆、縁側に座り、あの庭園を前に穏やかな時間を愉しんだに違いない。

現代に生きる私の心と、過去にこの庭園を愛した人々の心とが、確かに繋がった、そんな気がした。

 

もうこの庭園だけで、私の京都旅行は百点満点だった。皆さんも、京都を訪れた際には是非、お立ち寄りくださいませ。

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