残り香

宇多田ヒカルの「残り香」という曲の一節が凄く好きだ。

「証明されていないものでも
信じてみようと思ったのは
知らない街の小さな夜が終わる頃」


最近の私の問いは専ら、「理性に生きるか、感情に生きるか」である。「現実に生きるか、夢に生きるか」と言い換えても差し支えないだろう。
義務感や世間体や親の価値観やら、そういうものをべりべりと剥がしてしまえば、私の心は感情と夢と理想と美に生きることを切実に求めていると思う。

まだ理性に生きるか感情に生きるかは決めていない。
けど、「残り香」を聞く度にこの一節が確かな重さを持って落ちてくる。ずしん、ではなく、すとん、と。
「美しい」と思う率直な感情には理路整然とした根拠などない。それはあくまで自分の内部のみを拠り所として起こる感情だ。
宇多田ヒカルは、「知らない街の小さな夜」の中で、「証明されていないもの」を信じようと思った。彼女はきっとその夜、美しい何かを見つけたに違いない。周りのどんな価値観や理論や証明に干渉されることもなく、美しい、と思った。
私も、証明されていないものを信じる、そんな日々を送りたい。自分の選択の焦点はきっと、この思いをどのように扱うか、だろうな。この曲を聴く度に、そんなじわりとした熱を持った感慨に襲われる。



結局何が主張したいのか分からない感じになっているが、そもそもこのブログは何か明確な主張や思いを綴る為に書いてる訳では無いので良しとしよう。