大人になれば

何のために生きているのか、わからなくなる夜がたまにある。

一ヶ月にいっぺんぐらい。

そういう時、私は高いところばかり見つめている、大抵。何かを成さねばならないとか、何か素敵なものを手に入れねばならないとか、凄い人にならなきゃいけないとか。

 

 

母の影響で小沢健二が好きなのだけれど、彼の歌を聞いてると、そういう気持ちがゆるりとほどかれていく。

 

生活の中の、ちょっとだけ幸せだったこと。嬉しかったこと。ご飯が美味しいとか、甘いお菓子とか、電車から見えた夕焼けが綺麗だとか、風が気持ちいいとか。

ふわふわして掴めない漠然とした不安。角を曲がったら唐突に出くわしてしまった過去の記憶。きりきりと痛い悲しさとか、後悔とか、ノスタルジーとか。

 

彼の歌は、日々に訪れるそんないい事も悪い事も、細やかに、おおらかに歌う。

そういうものに振り回されて何が何だかわからなくなった時、彼の歌を聞くと、「あ、これでいいんだ」と気づく。

これでいいのだ。嬉しくなったり、悲しくなったり、感動したり、いらいらしたり。多分人生はそういう感情の積み重ねなのだ。皆そうなのだ。だから辛くたって、いいんだよ。

 

ちなみに、聞いていたのは「大人になれば」という曲だ。以下、好きな歌詞を抜粋する。

 

「ウッカリして甘いお茶なんて飲んだり

カッコつけてピアノなんか聴いてみたり」

 

「群青色に暮れかけた夕暮れに 美しい形 美しい響き 何だか心が哀しくなるね」

 

「素晴らしい色に 町はつつまれひっそり

きっと今は誰もみんなしんみりする

空に見える星 ちょっと見えてる星

確かに輝く美しい時

誰かのことを思うと すっかりメランコリー」

 

 

ふわふわして掴めない、いろいろな感情を抱きながら生きることを、この曲に許された気がする。