ブログを始めて一年が経ちました。

 

70。

このブログに一年間で投稿した記事の数だ。この一年間でのアクセス数は約6000。ちまちまと書き留めてはちまちまとSNSで宣伝していたが、6000という数字を見ると、塵も積もれば山となるのだなと実感させられる。この一年の間に、ブログを覗きに来てくださった皆様、ありがとうございます。たくさんの人に読んでもらえること、私にとってはとても嬉しいことです。

一年間に70、ひと月あたり平均6個ほどだから、単純計算でも週に1〜2回投稿していたということ。いまではすっかり自分の心の拠り所にもなっているブログという場であるが、ある程度まとまった量の文章を書くということは、このブログを始めるまでは全くしたことがなかった。

 

代わりにTwitterは中学の頃から断続的に続けていた。大学に入ってからは、考えたこと・感じたことを鍵付きのアカウントで長々と並べ立てていた。ツイートすること・言葉を探すことは、自分のもやもやして掴み所のない内面を可視化し、それに向き合うことだった。一年前のある日、友人から、長々とスレッドを連ねたツイートを茶化され、ブログとかやってみれば、と言われた。多分友人はそこまで真剣に勧めたわけではなかったと思う。友人自身もブログはやっていなかったし、軽い気持ちで口にしたのだと思う。(実際、半年以上経ってからその話を友人にしたら、「そんなこと言ったっけ」と言われてしまった。)けれど、友人の一言が当時の私にとっては目から鱗であった、大袈裟だけれど。Twitterで繋がっている友人の中には、少数だけれどはてブロやnoteをやっている人がいた。でも、「やってみたら」と言われるまでは、自分がブログをやるなんてことは考えつかなかった。

というのも、私は自分の書く文章が嫌いだったからである。思考過程を淡々と述べた文章ならまだしも、自分が鍵垢に閉じこもってちょくちょくツイートしていた、感傷的で詩的な単語を並べ立てた文章が嫌いだった。

 

嫌いだったけれど、でも詩的な言葉というのは、自分の内面を長きにわたって構成してきたものでもあった。本をまだ全然読んでいなかった小中学校時代には、曲の歌詞や漫画の台詞やモノローグを、骨の髄まで染み込ませるように繰り返し読んだり聞いたり、言葉からいろいろな感情や情景を想像・妄想して過ごしていた。高校に入り、読書をするようになってからは、とりわけ江國香織の言葉に魅せられた。やわらかく、それでいて胸のごくわずかな隙間を確実に突き刺してくるような彼女の言葉は、もとから言語表現に対して敏感だった私の感度を一気に引き上げた。さらには椎名林檎の書く詞にも、どれだけ魅了されたことか。彼女は様々な言葉を使い分ける。骨太な熟語をたくさん使ったり、まっすぐ素直に感情をぶつけるような言葉を使ったり、小説のような美しい情景描写を繰り広げたり。高校時代の私は、一つのフレーズ、一つの文を、何度も目で追い反芻し、そこに潜む情景に果てしなく思いを馳せていた。

そうやって、気づいたら、「情報を伝達するためだけの言葉」ではなく、「感情や情景を伝えるための言葉」で、私の思考や感情は構成されてしまっていた。大学に入学する前からすでに、私の頭の中には詩的な言葉というものが渦巻いていた。けれど、それをすくって形にした途端、文章にしてツイートした途端、そこに垣間見える陶酔感にぞわぞわと生理的嫌悪を催した。他の人が書く詩的な文章はあんなに自分を惹きつけるのに、自分の書いたものを読むとげんなりした。なぜだろう。きっと、詩的な文章を書いている自分というのを客観視して、「ポエマーだ」と揶揄したり、「気持ち悪い」とか「自分に酔っている」とか批判する第二の自分がいたからだと思う。第二の自分というのは、詩的な言葉をちょっと馬鹿にするような人々の間で過ごしてきた間にできてしまったものだと思う。それは、私の中に内面化された、詩人を揶揄する他者の声だった。親が、詩的表現を使う私を、「ポエマー」と笑うこともちょくちょくあった。

 

詩的なつぶやきをツイートするたび、「また書いてしまった」「白い目で見られているだろうか」とすぐに考えてしまっていた。でも友人に「ブログ始めてみたら」と言われて、「ひょっとすると、Twitterで晒すよりはブログに閉じ込めてしまう方が、人の目に晒される機会が少なくなるから逆にいいかもしれない」と思った。ツイートはフォロワーがタイムラインを遡ったときに否が応でも目に入るけど、ブログの記事というのはリンクを踏まなきゃ見られないし。だからどちらかというと、「ここに閉じ込めればいいや」という、消極的な理由からブログを始めた。これまでたまにツイートしていたような詩的な文章を、記事にしてひっそり溜めておく。そんな目的で始めたので、最初の投稿もごくごく短いものだった。

 

スマホを見ながら駅のホームを歩いていた時、唐突に視界に入ってきた、地面に打ち捨てられた一輪の赤い薔薇を今でも時々思い出す。
どんな人がどんな人に贈ろうとしたのだろう。それとも、自分のためだけに買ったのだろうか。あの薔薇は、きっとぐしゃぐしゃになって、終電もなくなった五反田駅で、駅員さんに拾われたのだろうな。

 

2019年5月9日、初めての記事「薔薇」。まさに1ツイートくらいの分量。本当はツイートしてもよかったけれど、人目に触れぬようこっちにそっと置いておこうと投稿して、リンクだけTwitterに貼ってみた。いいねはそんなにたくさん来なかったし、ちょっとホッとしつつも、ちょっとだけ誰かに読んでもらうことを期待していた自分がいて、恥ずかしくなった。

 

数日して、何人かの友人から「ブログ読んだよ」と連絡が来た。友人たちは、「凄くよかった」「めぐの言葉凄く好き」と褒めてくれた。驚いた。自分から見たら思考の掃き溜めのような、陶酔感溢れる“ポエマーな”文章が、まっすぐに受け取られて好きだと言われるなんて。自分の言葉って、人様の前に出してもいいものなのか。いくつか投稿をしていく中で、詳細な感想を送ってくれる友人もいたし、「ブログ楽しみにしてる」と言ってくれる人も少しずつ増えた。自分の文章は、恥ずかしいものでも馬鹿にされるようなものでもなくて、白い目で見られるようなものでもなくて、誰かに味わってもらえるような、誰かに好きだと言ってもらえるようなものだったのか。今まで自分の内側に渦巻き、でもその存在を「第二の自分」に否定されてきた詩的な言葉たちが、ブログの中に居場所を見つけた。「自分の文章なんて」とすぐに自己否定・自己嫌悪に陥っていた自分は、読んでくれた人からの感想によって、少しずつ少しずつ溶かされていった。他の人の感想や指摘によって、自分でも気づかなかった自分の文章の特徴や意味に気づかされた。だんだんと、客観的に自分の文章を読むことや、小説や歌詞を味わうときのように自分の文章を時間をかけて読み直すことが、できるようになっていった。

Twitterにブログのリンクを貼っていたら、それを見知らぬフォロワーが読んでくれて、いいねやDMで感想をくれるようにもなった。そんなところから始まった友人関係がこの一年でいくつもある。Twitterで互いに互いの文章をいいねし合ったり感想を伝え合ったりして、Twitterしか知らなかったけど「会いましょう」と約束して会った人も何人かいる。彼ら彼女らもまた、ブログやツイートで自分の言葉を恐れずに使う人たちだった。とりわけ詩的な言葉を使う何人かの友人との出会いは、私にとってとても大きいものだった。「仲間を見つけた」と思ったし、「自分と同じような言葉を使う人がいる」と思った。自分の言葉を自分で抑圧していた時代は過ぎ去り、思考の渦の中から拾い上げた言葉を発信することに対するためらいや恐れは、友人たちのおかげで少しずつなくなっていった。

 

もう、便利で使い慣れた単語ばかり並べるのはやめたらいい。小説みたいな、詩みたいな、映画みたいな文章を書くことを恥じなくていい。

中には「痛い」と誹る人もいるだろう。でも、世界は不思議で、「柔らかい言葉」を受け取るためのセンサーを持った人が確かにいるのだ。そういう人達にきちんとその言葉が、重さが、届けばいいのだ。

 

2019年7月15日「ことば」という記事。「恥じなくていい」と自分に言い聞かせながら、まだ始まったばかりで先も見えない言葉の道を、手探りで、しかし確実に、進んでいた。

 

夏休みが明け、秋学期の授業が始まった。私と言葉を取り巻く世界は、コラムランド(当ブログでは椿本ゼミと表記していました)というゼミとの出会いによって大きく展開していくことになった。金曜二限の授業で、毎週ランダムに出されるお題に沿ってA4一枚分の文章を書き、翌週、作者名を伏せた状態で互いの文章を読み合い、議論するというものだった。この授業で変わったことといえば、週一回は絶対に作品を書かねばならないというルーティンづけができたこと。それと、自分が思いもよらなかったテーマで書くという新鮮な状況に置かれたこと(「たゆたう」「季節としたごころ」「QED」なんていうお題もあった)。それと、何と言っても他の学生の文章に触れる機会が増えたことである。提出される文章のジャンルは様々で、短編小説やエッセイ、評論や詩、短歌なんかもある。数十人の生徒が受講しているコラムランドで、私は「私と同じような詩的な言葉を使うひと」とのいくつかの出会いを経験した。授業内で感想を語り合う時間はとても居心地が良くて楽しかったし、授業内で出会った人と、授業外の時間で語り合ったりすることもあった。互いに好きな本や好きな音楽を勧めあったり、感想を共有したりした。自分の言葉で書くこと、話すこと、語ることは、もはや日常の一部となり、以前のような自己嫌悪はほぼ抱かなくなっていた。同じ言葉を使う人たちの中で、過ごしていたから。ブログを始める前に比べたら、世界は格段に優しく豊かになっていたし、私はそこで、前よりもずっと息がしやすかった。コラムランドは今期も開講されることとなり、私は継続して授業に顔を出すこととなった。たとえオンラインであっても、やっぱりコラムランドの授業時間中は、他の授業で画面を見つめている時よりずっと息がしやすい。先学期にコラムランドで知り合った友人とLINEをする時は、やっぱり大きな安心感の中にいる。

 

コラムランドだけではなく、この半年間の間にはまた新たな出会いがたくさんあった。主にTwitterでの繋がりから始まることが多かったけれど、サークルの同期や後輩、高校同期や中学同期の中にも、SNSからブログ記事を読んで、感想をくれる人が何人もいた。その中には、自らも詩のような文章を書く人もいて、本当にいろいろな刺激を受けた。

この一年間で語らえる相手が増えて、私の思考も表現も、一気に自己嫌悪の呪縛から解放されたと思う。彼らに安心感や刺激を貰いながら過ごした一年で、自分の言葉は確かに自分の道具となり武器となった。文章を読むことも、書くことも、私の生活にとって切り離せない営みになったと、今ははっきりと言える。もう「第二の自分」はいない。自分の好きなものを後ろめたさを感じずに好きと言えて、自分の言葉でそれを伝えることができること、それが私を生きやすくしてくれたし、自分のアイデンティティというものを言葉の世界の中に見出させてくれた。

最後に、私が五年前から敬愛しているF(@No_001_Bxtxh)氏の言葉を紹介したい。

好きなものを好きだと言い続けないと、好きな人は寄ってこない。そして嫌いなものを嫌いだと言わないと、嫌いな人は離れていかない。

自分の好きな言葉や世界を、「好きだ」とはっきり言えなかった時。もしくは、自分の好きなものを好きだと言い続けて、世間に立ち向かおうとする時。私を鼓舞し、私の信念の根底に根付いたのはF氏のこの言葉であった。好きなものを好きだと、自分の言葉で言い続けていたら、この一年間、本当にたくさんの「好きな人」に出会った。きっと、私が好きなものを好きだと言い続けたことで、離れていった人もいる。けれど、息のしづらい窮屈な一年前より、今の方がずっと、しあわせだ。