平衡

夜の中を走る電車の中を走りたい。駆け回って、飛び回って、みんなが僕のことを、頭のおかしい人だと思うだろう。でも君たちの方がおかしいって言いたい。だって窓の外には無数の明かりが凄いスピードで流れていってる。先頭車両の方を見れば、くねくねと線路に合わせて形を変える、この箱は生き物じゃないか。夜の中を駆ける箱に乗って、僕はこんなに眩しい歌を聞いてる。

 

何が大人だとか、何が正しいだとかを、知った振りをする友達はみんな嫌いだ、そんな言葉を疑いもなく吸い込んでは、徐々に安定していく僕も嫌いだ。揺らがないように、転ばないように、間違えないように、穏やかであるために、そんな主義が僕の頭を段々巣食っていく、救えないんだよ誰のことも、だって僕はこんなに汚れてしまった。掬いたかった、君の見ている世界を。それさえも不実だと誰かが言う。

 

息切れしてもいい、白い目で見られてもいい、沈んでもいい、行き倒れてもいいんだ、本当は。本当は僕はそんなふうに生きて死にたい。きっとずっとそう言いながら生きながらえる。

天国

君が出てくる夢を見た。けれどもう、何を話したのかも、どこにいたのかも覚えていない。ただ、とても穏やかであたたかな空気が私たちの間に流れていたということ、それはまるで、戦いの終わった後のような、すべてがゆるくほどかれていくような安堵に満ちていた。夜明けだった。厳冬を越えたようだった。もう大丈夫、もう何も心配することはない、もう何も終わらないから、もう誰も消え去ったりしないから。そんな気持ちだけを覚えている。あれは陽射しの色をした天国だったのだろうか。夢から覚めても終わらないでほしい。大切な大切な全ての命が、尽きずにあればいい。思わずそう願ってしまう私は、どのような罪で裁かれるだろう。

裏通りにて

愛してるという言葉はなんて軽薄なんだろうね。君の口からそんな言葉が出てくるなんて。君の睫毛は陽の光を受けてきらきらしていた、君は普段の君よりも少しだけ素直で、元気で、可愛らしかった。私は誰の幻影を君に重ねて見ているのでしょう。君の夢を見た時は、必ず日記に書いているということ、君には決して言わないけど私だけが知っていること。本当に愛しい人を消費してはいけないよ、そんな言葉が聞こえてきたけど、私は本当は誰を一体愛しいのだろう。憂鬱を夢見る気持ちと、陽だまりを求める気持ちとが、私の心を引き裂いている。

 

青い薔薇

星を眺めるように、冷たい月を眺めてください。僕は隣りでただ、君の冷淡さだけを信じていたい。僕たちは決して砂漠の真ん中で美しく消えたりはできないこと、死んでも星にはなれないことを、痛いほどよくわかっている。私は確信している、君もそれがわかっているのだと。本にも音楽にもならないような無題の夜を目撃したい。糸が切れたようにこの街に放り出されて漂流するときだけ、僕は僕でいられるのです。

ほつれる

「お前の優しさは偽物だ」

と、誰かが私の頭の中で叫んでいて、私は今すぐヘッドホンを当ててうるさいロックでかき消したい。何が本当の優しさか分からないです。簡単に相手の気持ちを分かった気になるのは優しさではないのだろうし、私の頭の中で渦巻いている推測と最善手は所詮私の想像でしかない。それならば本当の優しさは一体なんですか。私は誰の気持ちも私の気持ちのようには解らないのだから、私のばら撒く優しさはエゴなのかもしれない、と思う。けれど、他者の気持ちを全く同じ立場に立って感受できる人なんているのだろうか。人は他人にはなれないから、そんなこと原理的に無理なのではないだろうか。ならば優しさなど最初から存在しないかもしれない。わたしたちにとって、そんな偽物の優しさは、暗闇から一方的に投げつけられる色とりどりの花束なのかもしれない。受け取って欲しい受け取って欲しいという気持ちに彩られて鮮やか過ぎる色の花たちが、投げつけられては萎れて枯れていくのかもしれません。本当の優しさなんてものを、人類は持ち得ないのかもしれず、ただ惑星があり水が流れ陽の光が注ぐということだけが、優しさとして私たちの足元に流れ着くのかもしれない。

夜間飛行

微炭酸、喉を通るときにじんわり熱く、感じているのは私だけ?  慣れない刺激は五割増、遠くにあるもの八割増、くそしょうもねぇ、くそしょうもねぇ全て、憎らしくて仕方ない、名前のないものは認めてくれない社会。高層ビル、最上階のベッドの上で眠るなら、目を閉じようとも聞こえる地鳴り、これは車か飛行機か、それとも海鳴りなのかと不安が唸る。憂鬱も感傷も用法用量守って頂戴、なんて言ってんじゃねぇ、感情には飲み込まれてなんぼ、でもどっかで眺めてる冷めた自分、依存症にも孤高にも振り切れない私たち、どこへ流れ着く?  なんなら吸い込まれてみよう、こちらを睨めつけている、遠く瞬く赤いランプたちの中へ。最上階から跳んだなら、幸福も絶望もきっと最上級、上昇気流が煽る上等なコート、墜落する前に脱ぎ捨てな、記憶も未練も一緒にな、下は見るなとお前が呟くカウントダウン

傷跡

こんな寒い曇り空の夕方に、街に出かける時、私は何の曲を聞いたらいいのだろう。この、私の過去も未来も全てがどうでもいいような、でもいとしい人達だけはどうでもよくないような、そんな気分にしっくりくる曲ならもうずっと前から存在してない。どんな音楽も微妙に凹凸の形が私の心の形に合わなくて、これほどまでの音の無駄遣いはかつてこの世にあっただろうか。

日の暮れた街の中、高架の上を電車が走る、その電車の中のある窓のそばに私は立っている。電車の進行方向と同じ向きを向いて窓の外を見遣れば、高架の下の方に、置き捨てられた自転車が、建物が、道路が、信号待ちの車のテールランプが流れてゆく。上からそれを見つめる私は、まるで世界を統べているかのような気分の良さを感じる。

誰かに傷つけられたときの言葉を思い出そうとしても、すぐには浮かんでこない。確かにそれらは存在していたし、私の記憶の中に沈殿しているはずなのに。傷の記憶はコントロールできない、きっとそれらは、何の気なしに再訪した土地やお店や、懐かしい香りによって不意に想起されて私を小さな針で刺す。すっかり忘れていた人の、すっかり忘れていた台詞に、今の私がもう一度傷つく。思い出は、一度忘れないと思い出にならないとか言う。思い出すから思い出なんだと言う。