正しさなんて要らない

「傷つかないで済むように賢く生きる」ことを覚えてしまったなら、十代の私の精神は本当に死んでしまうと思っている。

衝突を避けるための当たり障りのない受け答え。私たちは本当は分かり合えないということを、心のどっかでは理解してるくせに、分かり合えないってことが露わにならないように、身体ひとつ分とってしまう距離。ずっと一緒になんて居られるわけないって言い聞かせて、依存しすぎないようにする。つまんない、つまんない臆病な大人になろうとしている。

もっと体当たりしていけばいい。

分かり合えるかもしれないって思い込んで、壁なんてぶち壊して土足で踏み込んでしまえ。それで、やっぱり分かり合えないんだって気づいて、ぞっとするほど静かな孤独を味わえ。

「ずっと一緒に居たい」とか甘えた期待を抱いて、期待が裏切られる度に土砂降りの悲しさを味わえ。

傷つかないようにする生き方なんて、面白くもなんともないぜ。臆病になっていくばかりだ、この頃。足元、落とし穴を踏み抜かないように、正しく真っ直ぐに進むことを覚えてゆく、大人になってゆく。

取り返しのつかないことをできない。

立ち直れないほどの失恋をできない。

程々の距離を探り当てて、穏やかになってゆく暮らし、退屈になってゆく暮らし。

でもやっぱり、感情を出し惜しみせずに使い切って生きることを、どこかで求めてる私がいると思う。悲しければ悲しいほど、衝動的であればあるほど、生を実感出来るなんて、私本当に動物みたいね。

好きも嫌いも、その質量のまんま、差し出して生きていきたい。用法用量を守った感情生活なんか捨ててしまえ。