『明けない夜は、なかった』

ある夏休みの朝、目を覚ましたら、部屋の中はまだ暗かった。また変な時間に起きたのかなと思いスマホを点けると、液晶には「9:30」という数字が表示された。カーテンを開けると、窓の外は真っ暗闇だった。

太陽が昇らなくなってから一週間が経った。世界は、夜が好きな僕にとっては少し嬉しいものになったのだ。 例えば、都庁の展望台に登ればいつだって夜景が見られた。夜の街でほんの一瞬孤独を紛らわせてくれる色とりどりのネオンは、一日中灯り続けた。

太陽が昇らなくなってから一ヶ月が経った。
青空なんてものはもうない。ただ僕の視線を吸い込む闇だけがそこにあった。何日も何日も太陽が昇らないから、夜空の黒は次第に濃くなっていって、肉眼で見える星の数は段々と増えていった。東京で天の川が見えるだなんて、思わなかった。家のベランダから星空を眺めている時、ふと、もう夕焼けを見ることがないことに気づいた僕は、少しだけ泣いた。

太陽が昇らなくなってから一年が経った。
陸上部の君の、日に焼けた肌が僕は好きだったけれど、夜空の下で走る君の肌は透き通るように白くなっていた。
そういえば、青い海を見ることももうなくなった。砂浜に行けば黒々とした液体が横たわり月明かりを溶かしているけど、どこまでが海でどこからが夜空なのか分からない。潮の匂いだけが確かに、香っている。

太陽が昇らなくなってから五年が経った。
近所の向日葵は未だに夏になると咲くけれど、もうずっと頭を垂れたままだ。うちの庭で母親が育てていた朝顔は、もう咲かない。花々は、街灯の光の下でだけ人々の目に留まるけれど、蛍光灯に照らされた花びらの色は、僕の記憶の中のそれとはもはや異なっていた。
僕は夜が好きだけれど、やわらかい朝日に包まれた街路樹を眺めながら散歩することも、好きだったのだと、ふと思い出した。思い出したって、もう仕方がないことだ。

太陽が昇らなくなってから十年が経った。
僕には子供ができた。絵を描くのが好きな女の子だ。彼女が保育園で使っているクレヨンは、黒色ばかりが短くなっていた。黒い星空だけを描いた絵が、部屋の壁に次々飾られていく。夜だけが果てしなく続く世界で、「夜」という単語を使う人は、次第に少なくなっていった。

空が青かったことを、世界には朝と夜があったことを、夕焼けが悲しいものであったことを知る人は、いずれ居なくなるのかもしれない。光のなくなった世界で、それでも僕は、呼吸を続ける。

 

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椿本ゼミ第四回に際して執筆。お題「光」。