自我と絶望のような何か

「今に飛び込むことを何故そんなに恐れるの」

君にはわかりやしない。後先のことなんか考えずに今を生きることのできる君には。今に誠実であること、それはすなわち、過去を疎外していくことでもあるのだ。

「恐れているんじゃないよ」

「じゃあなんだっていうの。勿体ぶる必要ないじゃない」

そんなに真剣な顔して訊ねないでくれよ。僕には君の真っ直ぐさが痛いよ。今この瞬間の感情に正直であろうとする君の、真っ直ぐさには、敵わないと思う。けれど、けれど・・・。それは大胆で潔くて僕の目には美しく映る。だからこそ怖いんだ。君がそうして僕に向けている炎は、いつだって風が吹けば行く手を変えてしまうんだろう。磐石では、ないのだ。それが僕には、怖い。

「恐れる暇があるのなら、一緒に飛び込んでしまえばいいのよ」

切迫した君の表情、何に追い立てられているのだろう。君はいつか気づくのだろうか。君が必死になって掴もうとしている今この瞬間だって、やがて死んでゆくのだと、忘れ去られていくのだと。

「私は今あなたと居たいのよ。後悔したくないのよ」

今居たいのだろう。一年先の未来も僕と居たい保証なんてないのだろう。そうやって、自分の今の感情を僕に押し付けるのはやめてくれ。我儘じゃないか、傲慢じゃないか。僕が拒んでいるのに、自分が後悔しないために僕を引きずり込もうとするなんて。僕はいいんだ、そんな風に真っ直ぐな刹那主義に消費されるくらいなら、ずっと独りで構わない。飽きられるのは、捨てられるのは、もう御免だよ。

 

耳障りの良い台詞、いかにも「生きている」というような君のまっすぐな視線が、僕を追い詰めるんだ。その事に君は気づいていない。綺麗なものがいつまでも綺麗なわけないじゃないか。美しいものの裏側に、自分勝手な冷酷さがあるのが僕には透けて見えて、それがとても恐ろしい。僕を理解しようとなんてしないでくれ。僕を所有しようとしないでくれ。君の美しい物語に少し花を添えるだけの登場人物になって、それで終わりなんて薄情だ。