顔のない君

蒸し暑くずるずると長引く梅雨の夜に、開いた小説に、「冬の匂い」という文字を見つけて、でもそれが全くもって嗅覚に結びつかないので悲しくなる。

「おもては冬の匂いで、街の匂い」

冬の雑踏の匂いって、どんなだっけ。夜、街路は冷たい雨に濡れて光り、吸い込めば肺の中が冷気で満たされて胸の奥がきゅっと締め付けられる。私は順々に、そこに書かれた街の様子を思い描いていく。途中まではよかった。なのに、匂いと温度だけは、もやもやしたままで私の表層を掠っていくだけだ。「匂いは五感の中でも最も忘れがたいもの」だとか、そんな文言を見たことがあるけれど、最も忘れがたいものを忘れてしまった私なんて、感性の閉ざされた干物のような存在ではないか。

 

この小説を読んで、もう何年になるだろう。

男女が毎夜食事をするだけの描写が続くこの小説。それなのになぜだか、ほんの数ページの中に感覚と色彩が鮮烈なまでに詰め込まれたこの話。

私はもう何年も、この小説に憧れを抱いて生きてきた。「裕也」、という名のその男性は、ゆったりと落ち着いた口調で、誠実で、手は日に温められた土のようなにおいがするらしい。

心惹かれる異性が現れる度に、「裕也」に彼らを重ね合わせてきた。今思えば無理がある。ゆったりと落ち着いてもなくて、誠実でもなくて、手は土のようなにおいがしないひとびとを、無理矢理に重ね合わせて脳内でドラマを組み立てていく。

私はきっと、彼らのことが好きなのではなくて、この小説が見せる世界が好きなだけだった。目の前の変わり映えしない現実に、きらきらとした紗幕を掛けて、己の他者への無関心さから目をそらす。この小説を読む度に、歴代の「裕也」たちが思い浮かんで虚しくなる。

今晩は、久しぶりにこの小説を読んでみたけど、「裕也」はのっぺらぼうだった。いつもは見えていたきらきらの景色も、切ない匂いも、鮮やかな色彩も、今夜はなんだか色褪せている。

それは果たして、想像力と感性が閉ざされてしまった結果であろうか。それとも、虚構の世界に逃げ込む自分を卒業した証であろうか。

「裕也」が顔を取り戻すとき、私は幸福でいるだろうか、それとも。