いつかこぼれてゆくものたちへ

山手線、窓際に立つと、ビルの合間を縫って走る秋の陽光が時折私の片目に届いて、その度視界が黄金に鋭く染まってまぶしい。まだ正午過ぎだというのに、夕陽みたいな金色の光だ。11月の太陽は、いつだって夕陽みたいに優しくて切ない。

私たちはどうやら、手にしているものを愛することが、できない。

うしなわれたもの、過去の記憶、まだ見ぬ景色、非日常、手に入らぬ人──指先をすり抜けていくものばかりを、どうしようもなく愛してしまう。

本当は、わかっている。私たちには、今しかないということ。目に見える今、触れられる今。

通学路の狭い空にたなびく雲、乗り換えの視界をよぎるスクランブル交差点、車窓に見えるなんてことない住宅街のなんてことない眺め、黄色と緑の葉が入り交じる銀杏並木に鋭角に差す光、湿った一号館のかび臭い匂い、教員の声が遠のくあたたかい教室でのうたた寝、図書館の四階から見下ろす無音の風景、建物を出た友人の「寒っ」という小さな呟き、人もまばらな駅のホームを通り過ぎる夜風、イヤホンと鼓膜の間に閉じ込められた虫の音。

いつかこの瞬間も、忘れ去られてしまうだろうか。記憶の山に埋もれてしまうだろうか。はたまた、忘れた頃に不意に立ち現れ私はそれを慈しむだろうか。ほんとうは、私たち、よその芝生ばかり見てないで、私の芝生を眺めなきゃいけない。その片隅に生えた名前も知らぬ雑草の緑を、いま、愛さなきゃいけない。